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「すいませんねぇ」への違和感


帰国して数時間後、即、和菓子屋さんに行った。「豆大福くださいっ」。
「はいはい」店員のおばちゃんが大福を包みだし、赤いお代入れのお皿を私の方に向け、言った。
「すいませんねぇ、こちらにお代お願いします」

一瞬、何に対して「すみません」と言われたのかわからなくて、躊躇した。
何?私、謝られるような何をしたの?
そんなに「そこにお金なんて入れたくないよっ」って嫌そうな顔でもしていたのか?
真面目に混乱していた私に、たたみかけるようにおばさんは言葉を継ぐ。
「はい、すいません、こちらです」

白いビニール袋が手渡される。

ここでやっと気づく。この「すいません」は、謝罪ではなく、言葉の円滑油の「すいません」であることに。

私は別に、ここで安易な文化論を繰り広げたいのではない。ただ痛感するのは、尊敬語も謙譲語も丁寧語も、「相手との“距離”の測り方」と「心」が慮れる繊細な言葉であり、通り一遍で使ってしまっては、逆に相手に失礼にあたるということである。

極論を言えば、おばさんが上記の条件で私に「すいません」と発するのは、私がお代をそこに出したくないのに、わざわざお皿の上に置かせてしまって「すいませんね」、もしくは私がお金を払いたくないのに、お財布からお金を出すなんて面倒なことをさせてしまって「すいませんね」という脈になってしまう。この場合、使うべき言葉は、お買い上げいただき「有難うございます」ではないだろうか。なぜなら、おばさんと私の関係は、金銭を介在する客と店員の関係。一番単純な構図は「買ってくれて有難う」であり、「買うために、代金を支払うため皿にお金をいれてくれて、ビニール袋を受け取るために手を伸ばさせてしまって、すいません」ではないからだ。

「すいません」は、使いようによっては大変美しい言葉かもしれない。発する人間の深い深い配慮を、それとなく対象者が感じられた時。それはきっと日本語、日本文化の醍醐味だろう。だが逆に使い方を間違えると、大変イヤミ、もしくは不快感を与えうる言葉である。


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